悪魔とのおしゃべり、ここがヤバイ!!

引き寄せの法則実践記、悪魔とのおしゃべりを研究する

もはや何日目だかわからなくなってきました、ヒロユキです。(もう数えなくていいですかね。笑)

さっきあげた記事にも書きましたけど、↓

引き寄せの法則と悪魔とのおしゃべり

悪魔とのおしゃべりに関しては、色々と思うところがあり、自分なりの見解(現時点での)を残しておきたくてこの記事を書いてます。




ひょっとしたら読者のみなさまには何の楽しみもない記事になるかもしれませんが、もしお時間があるならお付き合いください。

また、ぜひ読者のみなさんとコミュニケーションを図りたいと思っていますので、下のコメント欄に、お気軽に書き込みしていただけると嬉しいです。

あ、でも「構ってちゃん」の相手はしない主義なので、そういうのはスルーしますね、あしからず。

悪魔とのおしゃべり、みつろうさんの世界観

以前の著書、「その名は、バシャール」でもたびたび出てきていましたが、この世の中は全てが仮想現実、いわゆるマトリックスのようなものだというのが、

どうも根底に脈々と流れ続けているように感じます。あ、否定とか肯定じゃないですよ。客観的に受け止めた感触です。良い悪いじゃない。

今回面白いなって思ったのが「人間スーツ論」です。

↑をざっくり言ってしまうと、世界中の何十億人といる人間(赤ちゃんからお年寄りまで、性別問わず)がその役割をもった入れ物であるという考え方。

そして、それをきてるのは全てなるもの「one」と呼ばれる元々は1つだったもの。

みんな何故夜眠るんだろう、と昔からずっと思っていたというくだりから入るこの思考実験ですが、登場人物の三名がどんどん確信を持っていく様子についていけない自分がいました。

え?え?どういうこと・・・?人間スーツ?毎晩リセット・・?

ってな感じです。でもなぜか引き込まれるようにして2クール目に突入。むしろそこだけ何度も読み返した節すらあります。



要は、「◯◯を経験したい!」と願ったoneの分身である僕らの魂が、毎日入れ替わり立ち代わりいろんな役割を経験している。(と解釈しました、僕は。)

じゃあなぜ入れ替わり立ち代わり別々のわたし(元々は1つだから別々ではないんだけど)が、昨日や一昨日、そして昔の記憶を持っていられるのか。

それは、このスーツを着ると、自動的に昨日までの経験がインプットされた何かをダウンロードして、あたかも昨日までのこのスーツをきていた人間そのものになれる。

そして、都合が悪くならないように、目を覚ました瞬間、その前に経験していたことは完全に忘れてしまい、その人間としての生活を送ることができる。

だから人間は毎日眠るんだ、そしてその眠りによって感覚がシャットダウンされ、「せかい」との接点がリセットされる。

朝、目を覚ますと、それが「起動」し、別の魂が入ってきていたとしても、それまでの経験や記憶が消え、その体に残っている記憶を引き継ぎ、元の人間として生活を続けていく。

こんな感じだと思う。異論は大いに認めます。

しかし、一体どういう頭の構造をしていたらこういう発想にたどり着くのか、僕には見当もつかないな・・・。自分では絶対この境地や発想にたどり着かない自信がある。

やっぱりドラコニアンの血を引いてるだけあって、そっちの覚醒が早かったんでしょうね。



人間スーツ論が現実だとすると・・・

で、この本を読んで、自分的にしっくりきたことが一個あるんです。

もし人間スーツ論が現実に展開されている「システム」だとすると、「すでに経験している」という言葉が腑に落ちるんですよ。

例えば僕が大空を自由に飛び回りたいという夢を持っていた場合、その日の夜に「ヒロユキ」としての役割を終え、世界中のどこかで翌朝「起動」する。

昨日の記事の通り、「大空を飛び回りたいワタシ」を願えば、「飛び回られたいセカイ」がそのまま現実に現れるので、

朝「起動」した時は、また「ヒロユキ」として起動するのか、

またはセカイのどこかで同じように飛びたいと「願っている」誰かとして「起動」するのか、

それはわからないけど、またそういう「飛べていない現実」が目の前に現れて、それが叶えられ続けている。



そしてもし「すでに経験済みだ」と思考したならば、朝起動した時には、例えばANAのパイロットとしてなのか、戦争中のパイロットとしてなのか、

それはわからないけど、望んだ通りの仮想現実で目を覚ます。

その時は「飛びたいとずっとねがっていた」ことなどは忘れてしまっているし、「それが当たり前」になっているため、

飛びたいなどとは夢にも思わない。つまりセカイの中に飛びたいという自分がない。

なぜならすでに飛んでいるから。セカイの中にないものは自分の中にある、わけですよね。

ちょっと例えが長くなってしまったけど、だとすれば、「すでに経験済み」というのはとてもよくわかるんです。

ただ忘れているだけ。今は「空を飛びたい」と願う経験をしたくてヒロユキという人間スーツを着て起動しているだけ。

でも実はすでに経験済みなんだ、このセカイのどこかで。

長くなってしまったけど、腑に落ちたことをまとめてみると、こんな感じ。↓

すでに経験していることを忘れてしまっているだけで、本当はもう経験しているわけだから、思い出せば良いということ。

そしてこの思い出す作業というのは、

あたかも今それが叶っているかのようにイメージすることそのものだということ。

思い出す作業 = イメージング
と考えると実にしっくり来ました。

思うに、想像するというのは思い出す作業のことなんじゃないかとさえ思えてきています。



想像の中身、つまり自分側に「望む現実」がある場合、ソレは外の世界に「憧れ」「羨望」として姿を現さない。

なぜなら相反するものが相手側、つまり「セカイ側」に姿を現わすわけだから。

向こう側にないものが、こちらにはあるという理屈ですね。

つい2、3ヶ月前に「マンション」を強く望み、朝カーテンを開けると富士山が見える眺望をずっとイメージしてた僕が、

今はその生活が当たり前のようになっている、この感覚。今ぼくはマンションに対して憧れは抱いていない。

なぜならもうすでにあるから。それが当たり前になっているから。もちろん感謝はしていますけどね。

この感覚なんだと思う。すでに手に入れた感覚。いいなぁと外側のセカイにそれを求めていないこの感覚。

それが当たり前になっている感覚。現実化にはこれが重要なんだと思う。

以前から気になっていた「悪魔とのおしゃべり」を読んで、いくつも自分と似た考え方の部分を発見できてとても嬉しかったです。

そしてこれも読むべくして読んだもの、つまり読むことは決まっていて、今得た知識を前もってどこかでダウンロードできていた。

だからこそ本の中に出て来るような発想が、まだ発売前の僕にできたと捉えています。



まさにパラレルワールド、全ては「今起きている」ことの実証ですよね。

パラレルワールドの話はこのブログの最初の方でしていますけど、その考え方をより一層強くしてくれる経験を、するべくしてしたと断言できます。

なぜなら、この本が発売されると予告されてからなぜだかわからないけど、ずっと気になっていたからです。

なんだかわからないけど気になること、これはハイヤーセルフがやれって言ってることだと思ってますから。

なんだかわからないけど胸騒ぎがする時は、だいたい何か起きるのと同じです。

まぁこんな感じで、理解しにくい部分もありますし、なんと表現したら一番しっくりくるのかわかりませんが、

でも言葉には表せないこの「感覚」。これを得られて良かった。この本に出会えて良かった。

みつろうさんといつか直接話をする機会があったら、「この記憶」をちゃんと留めておいてお礼が言いたいですね。

それではまた!

明日も何かしら考察を重ねてみたいと思います。(気分次第だけど)

ヒロユキ

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